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ベジマイト

外国に行っても、日本人だと思われたことがほとんどない。そりゃあ、相手が日本人なら、しばらく話していれば出身地の話など出るから当然分かってくる。しかしヨーロッパ系の人やアフリカや中東系の人では、まず私を日本人だとは思わない。これは私の顔が彫りが深くて「外人っぽい」というのではなく、おそらく典型的な「日本人らしい雰囲気」が欠けているからだろう。

具体的に言うと、今はそれほどでもないのだが、以前は材木の仕事をしていたので顔が日に焼けている。それから、日本人にしては背が高い(と言っても百八十センチほど)。目がギョロッとしている。唇がかなり厚い。眼鏡をかけていない。ネクタイもしていないし、身なりがきちんとしていない、と言ったところだろうか。

私がアジア人であることは分かるのだが、まさか日本人だとは思わないらしい。一度など、ニュージーランドの原住民であるマオリ族の男にすごい早口の現地語で話しかけられたこともある。訳も分からずきょとんとしている私に向かってオーストラリア人の友人は、

「あん人は、おまはんが同じ部族出身だと思っとっとよ。おかしかねぇ。」
と言って大笑いした。
そいつの英語だって、このくらいなまっているんだ。(九州弁には詳しくないので、間違っていたらご容赦を)

これよりもっとショックだったのは、同じ日本人に外国人と間違われたときだ。いつだったか、某国のある観光地でブラブラしていたところ、日本の女子学生らしい団体と居合わせた。そのグループを引率していた教師らしき人が、私に向かって話しかけてきた。なんとなく私に興味を持ったようだ。適当に話を合わせていると、

「あなた、日本語お上手ですね。どこで勉強したんですか?」
ときたもんだ。
私は一瞬何が起こったのか見当が付かなかった。しばらくして、ようやく事態を把握し、やっと、
「ええ、まあ」
と答えた。あまりのショックに、
「あの、ボク日本人なんですけど・・・」
なんてとても言えなかったのだ。

つまり当時の私は、顔だけではなく、日本語の発音までがおかしくなっていたらしい。

こんなことになったのも、若い頃日本を出て、十年以上あちこち移動し、その度にその土地に密着した生活をしてきたからかも知れない。密着と言ったって、完全に現地の様式を取り入れるわけではなく、主として食べ物である。しかし人間、食べ物を変えるとしゃべり方や態度まで変わってくるものだ。それを何度か繰り返すと、「国籍不明人間」になってしまう。

日本人の中には、しばらく海外に行くだけなのに日本食やインスタントラーメンをしこたま買い込んだり、せっかく外国にいるのにその土地の日本レストランに行ったりする人が結構多い。私の場合、せっかく行ったのだからと断固としてその土地で一番うまいものを食べる。

日本にいるときは、毎朝の納豆と味噌汁は絶対欠かせない大好物なのだが、これも五年以上食べなかった時期があった。食べる方法だって、アフリカへ行ったら鍋に手を突っ込む。その土地の食べ物や習慣に自分を合わせられるのは、特技の一つだと思っている。

そんな中で、今でも食べ続けている食品と言えば、オーストラリアのベジマイト(VEGEMITE)だ。これは麦芽を発酵させて作ったチョコレート色のペーストで、トーストに塗って食べる。発酵食品特有の香りがあり、ちょっと塩味があるので、日本人でこれが好きな人はまずいない。私はトーストを食べるときは絶対これと決めているので、今でもオーストラリアの友人に時々送ってもらっている。

それから特に想い出に残っているうまかった食べ物と言えば、西アフリカのポーポーである。これは、日本では「パパイヤ」と呼ばれている、あの紡錘型の果物だ。アフリカ産のものはサイズも大きく、特に木で熟したものをその場で食べると、果汁がポタポタとしたたり落ちるほど豊富で、まろやかな甘さと香りが最高。これほどうまい果物は、他では食べたことがない。それと、ちょっと甘みが強すぎるきらいはあるが、アフリカ産のマンゴは日本で食べるものとは比べものにならないほど香りが強くてうまい。

アフリカには、このほかにもいろいろな食べ物の想い出がある。現地の主食であるカッサバというパサパサした芋に、椰子の油で煮た水鹿(たぶんアンテロープの仲間?)の肉のソースをかけたもの。プランテーンと呼ばれる、バナナにそっくりだけど甘くなくて酸味のある果物(これは、果物と言うよりも主食代わり)を、油で揚げたもの、などなど。

でも最近十年ほどは、日本に居座って日本のものばかり食べている。今でも時々、仕事を全部ほっぽりだして「うまいもの旅行」に行きたくなることがある。

あ、いかんいかん。貧しい翻訳屋として、責任あるお父さんとして、そんな食欲はすべて我慢するべきなのだ。そして時々食べるスーパーで買った高いばっかりであまりうまくないパパイヤと、これは相変わらずうまい分厚いトーストにたっぷり塗ったベジマイトで、若かりし頃の食欲を思い出す。