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英語の習得方法に関する独断的見解

これは僕の経験に基づいた見解である。だから誰にでも当てはまるというわけではないし、批判や反対意見も当然あるだろう。この独断的見解で僕が強調したい点は、普通の人が「ストレスなく英語でコミュニケーションがとれる」ようになることはそれほど難しくないこと。そして、熱意を持ってやれば、かなり短時間でそれが達成できるということである。

つまり、英語のエキスパートになることや、完璧に近い美しい英語を話したり書いたりすることは最初からねらっていない。もっと正統派の英語学習法について知りたい方には、知り合いの翻訳家であり、僕より数段レベルの高い英語エキスパートであるかぶねこさんの「英語あれこれ」というコーナーをお薦めしたい。英語教育と英語の学習に対する視点は鋭く、専門家ならではの説得力を持っている。

さて、最近は学校の英語教育の現場でも会話を重視しつつあるようだ。しかし現在の学校教育を単に「会話重視」に変更しただけでは「みんなが英語をしゃべれる」状態にはならない。だいたい会話の教材というのが、ただでさえつまらない英語の教科書の中でも特につまらない。フランクとかジェーンとか、マークとかキャシーとかが出てきて、リアリティーに乏しい会話を繰り返すだけで、知的な刺激が全くない。あれに興味を覚える生徒がいたら不思議なくらいだ。

また巷のいわゆる「英会話学校」に高い授業料を払って通っても、なかなか思い通りに実力が付かないことがほとんどである。いくら良い先生をそろえ、良い教材、優れた学習方法を採用しても、学習に費やす時間が決定的に不足しているからだ。先生がネイティブでも、その事情に変わりはない。ただ、外人コンプレックスを持っている人たちには、緊張を取り除いて「場慣れ」させるくらいの効果はあるだろう。でもこれは、本来の英語運用能力とは全く無関係である。ではどうすればよいのか。

「聞けて・話せる」英語、つまり実際にコミュニケーションの役に立つ英語を身につけるには、まず徹底して耳を鍛える事から始めるべきだと僕は考えている。頭の中で日本語に翻訳するのではなく、「英語が英語として」直接頭に入ってくるまで耳を英語に慣らす方法である。耳を慣らすには、とにかくたくさん聞かなくてはならない。遠回りなようでも、これが結局は一番早道だと思う。「読むこと」と「書くこと」は、聞けるようになってから、つまり「英語が直接頭に入ってくる」状態になってから力を入れればよい。その方が学習の効率がずっと良くなる。

もちろん、ある程度の文法知識と語彙力、シンタックス(構文)を理解する能力が備わっていることが前提となるが、だんだんに身に付く部分もあるので、それほど神経質になる必要はない。文法理論やシンタックスの勉強は(一部の人を除いて)それほど楽しいものではない。あまりきちんとやろうとすると時間がかかりすぎる。退屈である。したがって長続きしない。

聞くだけで、文法やシンタックスが「だんだん身に付く」というと不思議な顔をする人もいる。しかし我々が日本語を学んだ過程を考えれば、何となく理解してもらえるだろう。毎日の生活で繰り返し聞いているうちに、日本語の文法などわざわざ勉強しなくても、正しい日本語の語順や言い回しなどが自然に身に付いているではないか。英語もおなじである。語順やイントネーション、そして文章の中でどの語にストレスが置かれているかを注意して聞き、そうした英語のパターンに耳が慣れてくるにつれて、文法やシンタックスもそれなりに身に付いて来る。完璧ではないが、パターンとして体に染みついているので、無意識のうちに使える財産となる。この過程で大事なことは、英語を無理に日本語に直そうとしないことだ。

細かい文法事項とか、スペルとか、自分の発音とかは一旦無視して、まず「聞いて聞いて聞きまくる」事から始めよう。具体的には、英語圏の国に一年くらい住むのが一番だが、それが無理なら、会話の適当に混じったドラマをテープで聞くとか、興味のある内容について説明しているニュースやドキュメンタリー番組などを、テープにとって分かるまで繰り返し聞く。市販の教材を利用しても良い。

さて、この方法には異論のある人が多いと思う。やっぱり文法も一緒に学習した方が、特に成人の場合には習得が早いという意見だ。これはもっともなご意見で、文法的に正しく完璧な英語をしゃべったり書いたりするには、地道な勉強は必要不可欠である。欧米人の中には、文法的におかしな英語、あるいは表現がこなれていない英語をしゃべると相手を見下すような人も確かにいることはいる。しかしこちらは外国人である。母国語がしゃべれた上で、相手に合わせて英語を使っているに過ぎない。そんな我々に完璧な英語を要求する方がおかしい。「ちゃんとした」英語を修得するには、膨大な時間と努力が必要なのである。短期間でちゃんとした英語を身につける方法など、絶対に存在しないと断言できる。

現在の日本の英語教育には欠陥がある。しかしこうした欠陥だらけの教育と、あとは自分の努力と工夫だけで、留学に頼らずに英語ができるようになる人がいる。しかしこんな人は非常に稀である。特別に言語感覚が優れている人、あるいは英語がものすごく好きな人が、長期間にわたって地道な努力をした場合に限られる。これまでの日本の英語教育における事実が示すとおり、我々の多くは、この方法では本当に英語ができるようにはならない。

会話能力をとっても、海外生活の経験なしで完璧にマスターする人もいる。しかしこれはほんの一部の英語に対する特別な思い入れのある人、あるいは特別な環境や機会に恵まれた人たちが、さらにたゆまない努力を実行した結果であるから、一般人には適用できない。こういう人たちは、ビジネス、通訳、翻訳、外交などの現場や、学術分野の第一線で活躍できる英語のエキスパートなのだ。

しかし言語というものは、大多数の人にとっては単なる「コミュニケーションの手段」であって、学問の対象や特殊技能ではない。例えば僕のような、記憶力も並で、言語センスにも特筆すべきものが無く、さらに「特に英語が好きなわけでもない」ような、つまりごく一般的な日本人も、それなりに英語でコミュニケーションが取れるようになるのが望ましい。

さてここで、具体的な学習方法についていくつかアイデアを提案したい。短期決戦で一気に英語の会話能力を修得してしまいたい、という人は多いだろう。しかしそれを実現するには、しばらく仕事を完全に休んで、アメリカかイギリス、オーストラリアなどに移住して、朝から晩まで英語のみの生活をする必要がある。日本語は絶対に使わない。日本人とは絶対に話をしない生活。赤ん坊が言葉を習得する過程を考えれば、こういう期間が必要なのは当然のことだと思う。結局言語の習得は、「どれだけその言語に触れたか」にかかっているのだ。

「子供や高校生くらいまでならそれでも良いが、大人にはそんな吸収力はないじゃないか」という見方もある。確かに吸収力では、大人は子供に劣っている。しかしそれを補うだけの文法知識や読解力、辞書を引く能力、いろいろなメディアにアクセスする能力、書いてある文章と対照させて理解する能力などがあることも、忘れてはならない。それらも総動員する。英語で考えてみる。頭の中で言いたい文章を考えて、口に出してしゃべってみる。実際にネイティブの人に聞いてもらって、間違いや発音を直してもらう。完全に英語漬けの生活。

こんな風に完全に英語漬けの生活をしていると、普通の人ならば、時としてホームシックに陥ったり、無性に日本語がしゃべりたくなったり、英語の響きが耳障りに感じられたり、いろいろなストレスに見舞われる。話している相手の言葉が聞き取れないもどかしさ。ボキャブラリーが不足しているために、言いたいことが言えないつらさ。自分は言語のセンスがないのではないかという自信喪失。テレビを見ていても訳が分からない欲求不満。とにかくイライラする。

しかしこういう状態は長くは続かない。我慢して聞き取る努力をしているうちに、ある日突然、みんなの言う言葉、発音の癖、スペリングと実際の発音の結びつきなどが、すっと頭に入ってくるようになる。いわゆる「ブレイクスルー(breakthrough)」の瞬間が来る。本当に、今まで分からなかったのが不思議なくらいすべてが明瞭になり、英語という言葉が美しく聞こえる。こうなったらしめたもので、それから後は使えるボキャブラリーもどんどん増えるし、コミュニケーションが楽しくなる。誰かと議論してみたくなる。ブレイクスルーに到達するまでの時間には、もちろん個人差がある。早い人では半年くらい。遅い人では・・・、どれくらいかかるか分からないが、だれにでも必ずブレイクスルーが来ると僕は確信している。

でも仕事を休んでの海外生活なんて、だれにでもできる訳じゃない。これが無理な場合は、NHKラジオの「やさしいビジネス英語」などを徹底的にやって、英語のイントネーションと発音に慣れる。英語圏のテレビ番組を常時受信できるようにしておいて、ドラマでもコマーシャルでも、分からなくてもよいから聞きまくる。頭をできるだけ長時間、英語漬けの状態にしておく。

これでやっと日常会話が聞き取れるようになる。しかしそれでは不十分である。ニュースなどのメディアで使われる英語をリアルタイムで理解しようと思ったら、聞いてすぐ意味の分かるボキャブラリーを増やす必要がある。それには、厳選したニュースや政治家の演説などの中から、内容の濃いテキストの入手可能なものを選んで、聞いて、真似して、読んで、暗記して、辞書を引いて内容を理解して、というのを徹底的にやる。イギリスの歴代首相やアメリカの歴代大統領の演説を入手して聞くのも良いだろう。彼らの演説は「国民を説得する」事を目的としているので、論旨が明確で説得力や迫力に富んでいる。僕の場合は、キング牧師の I have a dream という演説がお気に入りだった。またBBCが受信できれば、まいにち欠かさずに聞く。特定の分野に興味のある人なら、その分野に関連したテキストやテープ、CDなどを入手すると、もっと効果的だろう。

聞けて話せるようになると、英語が体の一部になってくる。日本語に翻訳しなくても頭に入ってくる。この状態になると、読む力や書く力も、今までの半分以下の努力でメキメキつくようになる。もちろん会話の練習とは別な努力が必要なのだが、英語の基本的なフィーリング、シンタックス、語順などが頭に入っているので、つまり英語のセンスが身に付いているので、学習がはるかに楽しく容易になるのだ。

そして一旦英語のコミュニケーション能力をある程度身につけたら、最小限の努力でその力を維持できる方法を見つけだすこと。ある言語の聞き取り能力と話す能力を維持するには、かなりの努力が必要である。これに時間を取られすぎると元も子もない。言語能力の維持だけで人生がつぶれてしまう。本当に大切なことができなくなってしまう。

忘れてならないのは、(その道のエキスパートを除いて)言語はあくまでもコミュニケーションの「手段」であって目的ではないということ。一時期徹底的に勉強したら、後は本業に精を出すべきだ。本当にやりたいことがない人、学習する目的がない人、そして、ただなんとなく英語ができるようになりたいという人は、時間をもっと有益なことに使った方がよいと思う。目的がないところに熱意は生まれず、熱意がないところに目的の達成はあり得ないからだ。

もちろん、英語なんかできなくたって有意義な生活をする方法はいくらでもある。日本で暮らして、日本で死んでゆくかぎり、英語ができなくてもそれほど困ることはない。しかし日本語とは全くタイプの違う英語という言語を、日本語に翻訳しないでそのまま理解できるようになることは、我々の思考回路に何らかの変化をもたらす。日本語と英語では、脳の中の使用する部位がかなり異なっているらしいのだ。いちいち翻訳していたのでは、その部位を使うことはない。英語で考えるようになって始めて、その部位にアクセスする回路が活性化する。

しかしこれは逆も言えるのであって、もし欧米人がもっと東洋の言語を勉強するようになれば、彼らの思考方法にももっと柔軟性がでてくるだろう。アメリカの大統領の中に、日本語や韓国語、あるいはアラブ語などを流暢に操る人がでてくるようになれば、世界は違った方向に進み始めるかも知れない。