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機械翻訳

産業翻訳を生業としている人の中には、機械翻訳についてかなり気にしてる人も多いはずだ。何しろ生活がかかっている。数年前、機械翻訳システムが本格的に導入されそうになったときは、「もう仕事が無くなるんじゃないかな」という危機感を持った人が多かったのではないだろうか。

しかしそれ以来、なぜか思ったほど定着せずに現在に至っている。私のような大してうまくもない翻訳屋のところにも、断るほど仕事が来る。なぜだろうか。機械でやれば、人間に頼むよりずっと速く正確にできる上に、翻訳コストだって安くつくはずだ。なぜ定着しないのか、ちょっと考えてみた。

機械翻訳と言うと、大きなシュレッダーみたいな機械の投入口に紙に書いた原稿を入れ、反対側から翻訳した結果が印刷されて出てくるような、いわゆる「機械」を想像する人がいるかもしれないが、そうではない。翻訳する元原稿が紙に印刷されたものであれば、まずそれをOCR(光学式文字読みとり装置)にかけてテキストに変換し、それをコンピュータに入っている翻訳システムで他の言語に変換するのだ。

この翻訳システムだって、市販されている数万円のいわゆる「翻訳ソフト」などとはスケールが違う。通常は「翻訳支援システム」と呼ばれ、簡易タイプでも数百万円、本格的なものになると数千万円以上もする大がかりなものだ。そんなすごいシステムで翻訳すれば、さぞかし素晴らしい訳文が自動的に出てくるだろうと思うのだが、それが思うほど簡単ではない。

こうしたコンピュータによる翻訳支援システムで翻訳した結果は、実はそのままでは使えない。機械は所詮機械であって、文脈や前後の状況を判断することはできないし、ましてや書き手の意図を計ることなど到底無理なのだ。出力された翻訳結果を、何のことはない、人間が「ポストエディット(後編集)」する必要がある。しかもその「人間」だって、原文が英語であれば英語の読める人、つまり翻訳者でなければならないのだ。

こうなってくると、なぜそんなに高価なシステムを導入したのか分からない人も多いだろう。それはこうである。つまり、翻訳支援システムで大まかな翻訳をしておけば、とりあえずは翻訳家が辞書を引く手間が省け、また複数の翻訳家に依頼した場合にも用語の統一が図れる。しかも不十分とは言え、とにかく日本語になっているんだから、最初から全部訳す場合に比べたら、遙かに速く作業が進むだろうと言う予測だ。

実を言うと、私も一時この「ポストエディット」に携わった経験がある。原稿一枚当たりの翻訳料は約半分だが、元から訳す場合の約二倍、うまくやれば三倍のスピードで訳せるというふれ込みだった。その上仕事の内容も、機械翻訳の対象となるのは契約文書のような込み入ったものではなく、機械やソフトウェアマニュアルのような、比較的単純なものだという。

「これはよさそうだな」と考えて、二つ返事で引き受けた。そして次の日、宅急便で送られてきた原文と、メールに添付されてきた「機械翻訳の結果」をみて驚いた。その数千万円のシステムで翻訳したという訳文は、日本語というにはほど遠い代物だったのだ。

結局原文をすべて読んで、細かいところまで確認する必要がある。また日本語として読みにくい部分は、文章を最初から書き直さなくてはならない。最初から全部自分でやった方が速いくらいだ。それ以来、この手の仕事は引き受けないし、依頼も全く来なくなった。

コンピュータによる翻訳について、その開発に携わっている人たちはかなり楽観的な見方をしている。中には、小説などの文学作品や詩まで、近い将来にはすべて機械で翻訳できると豪語している人もいる。しかし私個人としては、機械マニュアルなどのごく単純な文書を除いては、将来的にもコンピュータによる翻訳は限界があると考えている。

コンピュータに小説が書けるようになれば、もちろん翻訳も可能になるだろう。いや待てよ。小説だったら、状況設定や登場人物などをインプットし、過去にベストセラーになった作品のパターンなどをスーパーコンピュータで分析すれば、近い将来には、それなりに読めるものが書けるようになるかも知れない。ただし、それが面白いかどうかは、大いに疑問である。コンピュータには「創造性」が全くないからだ。常識的に考えて、小説家がコンピュータに職を奪われることは、まず無いだろう。

では翻訳家の場合はどうだろうか。「創造性」という面では、小説家ほどの能力は必要としない。しかし翻訳の場合、下手をするとコンピュータにとっては小説より難しい作業を強いられる可能性がある。誤字脱字の修正ぐらいはできるようになると思うが、原文の状況判断や、文章の背後にある書き手の意図を掴むのは、並大抵の作業ではない。つまり、小説の場合と違って、「まず読み取ってから、それを解釈し、さらにそれを他の言語に変換する」という三段階プロセスになる。こうした事情をいろいろ考えると、あと少なくとも百年ぐらいは、コンピュータが人間並みの翻訳をするのは無理だと思う。まあ私が生きている間は、失業する心配はなさそうだ。