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アゲドウフ

恐ろしい新聞広告を見た。シーズという会社が始めた、スーパー・イージー・イングリッシュという新しい英語学習法だ。英語ネイティブに通じる英語の発音を、カタカナで習得するのだという。

一例を挙げると、I get off は、「アゲドウフ」と発音する。自分がこの文章をどのように発音しているか試したところ、確かに「アゲドウフ」に近い。正確に言うと、私なら「アイゲローフ」と言う。最後のフは、もちろん普段使っている「ふ」ではない。英語を習った人にとっては常識だが、下唇と上の前歯で出す破裂音だ。

ここで簡単に私の英語レベルを紹介しておく必要があるかも知れない。私は海外でビジネスをしていた経験がかなり長いので、アメリカ人の英語でもイギリス人の英語でも、聞き取れなくて困ることはほとんどない。ちょっときざに聞こえるかも知れないが、正直なところ英語ばかりの環境にいる方が、日本語環境にいるよりもストレスが少なくて気分がいいほどだ。私に言わせると、英語という言語は日本語より遙かに耳に優しいし、日本人としては悔しいのだが、聴覚的には日本語よりずっと美しい言葉だと思っている。

ここでまたちょっと脱線するが、今から千年前に私が生きていたとしたら、この英語と日本語に対する評価は逆転していたかも知れない。平安時代の大和言葉は、現在の日本語より中間的な子音が多くて音が豊富だったと言うし、古文をちょっとかじっただけでも、その響きの美しさが想像できる。

ところが英語はどうだろうか。ご存じの方も多いと思うが、英語とドイツ語とは元々は同じ言語だった。その頃の古英語は、今のドイツ語とよく似ていてかなりローマ字読みに近く、響きに滑らかさが無くてかなり硬い響きの言語だったらしい。

現在この古英語をしゃべれる人間は日本に何人もいないそうだが、学生時代の担当教授がその一人で、ちょっと自慢げに何とか言う古い書物を読んでくれたことがあった。惹きつけられる響きではあったが、「日常的に使うにはちょっといただけない」と感じた。その後ノルマン人のヨーロッパ征服という歴史を経て、英語はフランス語の要素を取り入れつつ、豊かな語彙と滑らかな響きを獲得するに至ったのだ。

さて本題に戻ろう。英語をカタカナで表記して学習しようと言う試みだ。おもしろいので、その新聞広告に載っていた英単語の発音例をいくつか挙げてみる。上が、いつも我々が使っている日本語風の発音で、下が「これならアメリカ人にも通じる」と太鼓判を押されている発音だ。


マクドナルド → マクダーナル
ホテル → ホウテウ
リラックス → リレアクス
ドライバー → ヅライヴァ
キャッシュ → ケアシュ
エレベイター → エラベェイタ

とまあ、こんな感じである。

確かにこんな感じに聞こえることは聞こえるが、だからといってこんな風に単語だけを並べて話が通じるわけではもちろんない。個人的には、視覚的にカタカナに頼ってしまうため、却って逆効果だと思う。こんなことをさせるくらいなら、万国共通の発音表記を勉強するか、それとも英語におけるスペルと発音の規則性を集中的に学習する方がよっぽど応用が利くだろう。

たとえば、最初に例に挙がっているマクダーナルである。McDonald と言う単語を見ると、ローマ字読みに慣れている日本人はどうしてもマクド・・・と発音してしまう。英語では、O(オー)は一般的に、日本語の「あ」に近い発音になる。さらに、この部分にアクセントが来るので、ダーと伸びることになる。こういった「英語の発音上のパターン」をいくつか覚えておけば、スペルと実際の発音との相違にそれほど苦労することはない。

もう一つ例を挙げると、日本人はI(アイ)を「い」と発音しやすいが、英語ではだいたい日本語の「あ」または「お」に近い発音になる。behind は、よく「ビハインド」と発音されるが、ネイティブ英語では「バハイン」に近く聞こえる。さいごのd(ディー)の音は、聞こえにくいがちゃんと発音されている。これを無視してはいけない。同様に、ホウテウの場合も、最後に「ル」を付ける必要はないが、舌の先は上顎に付けていなくてはならない。

話は変わって、以前QXのメーリングリストでも話題にしたことがあったが、英語の会話言葉というか、スラングに近い言葉をカタカナにしてそのまま発音する若い人が多いらしい。
オーマイガッ、とか、ガッデム、とか、ジーザス、とか、セイヤッ、とか、アゴッチャ、とか、カマーン、とか、アダンナウ、とか。英会話をちょっとかじった人なら、元の英語を想像できるだろう。
正直言って、言語と言うにはあまりに醜悪で、書いていてもイヤになってしまうほどだ。こんなことをしていて、少しでも英語ができるようになると考えているのだろうか。前述のカタカナ英語学習法は、これにかなり近いような気がする。

ここでちょっと思い出したのだが、戦後アメリカの進駐軍が東京の街を闊歩していた頃、子供達が彼らのご機嫌をとろうと「英語っぽい」発音を模倣したというような話を聞いたことがある。そうした「模倣英語」の一つに、“ワラ”というのがあったらしい。これは英語で書くと water である。我々は普通これを「ウオーター」と発音するが、これでは通じないと言うのである。「ワラと言うのが正しい」と進駐軍に受けのよい少年が言っていた。そんな場面を何となく覚えている。

これも、アメリカ人の発音上の特徴をよく捉えている例だろう。T(ティー)の発音がきつすぎて煩わしいので、濁らせてD(でぃー)に近い音にして滑らかに発音するのだ。それが我々日本人には、ラ行の音に聞こえる。

例えば、トヨタ自動車の「トヨタ」だが、アメリカ人が発音しているのを聞くと、どうしても「トウダア」または「トウラー」と聞こえてしまう。アクセントがない音節の場合は弱く発音するので、D(でぃー)っぽく聞こえるのである。こういった英語ネイティブの癖を意識しつつ英語をたくさん聞いていると、自然と英語がそのまま頭の中に入ってくるようになる。もちろん時間をかけてかなりたくさん聞く必要があるが、これを短縮して三日間で聞き取れるようになるなんて言う方法は絶対にないし、ましてや一部の単語をカタカナにしてごまかそうとしたって、それで英語が聞き取れるようになるなんてことは絶対にないと断言できる。

そんなことをしているより、空手(karate)を、英語風に発音したら、「コローレー」になるとか、そんなことから英語ネイティブの発音の癖をゲットした方がよっぽど楽しいし、生産的だ。
ついでにもう一つおもしろい例を紹介しよう。最近日本でも、レストランでは「ご飯」と言わずに「ライス」と書いてあるのが普通である。それはそれでよいのだが、英語ネイティブに日本式の発音でライスと言うと、lice(シラミの複数形)と取られ兼ねない。実際にそういった経験は今までないのだが、多分そうなると思う。アメリカ人の発音を聞いていると、ゥワイス、あるいはヴライスに近いようである。r の発音をするときには、小さい「ウ」を単語の前に付けて発音すると、通じることが多い。

実を言うと、私は中学高校を通じて英語の授業が大嫌いだった。言語一般には非常に興味があったし、言語としての英語にももちろん興味はあったが、学校で教えようとしている英語は、ものすごく「偽物」の臭いがしたので、ほとんど完全に無視していた。高校へ入っても、受験英語の勉強はほとんどしなかったので、大学受験では非常に苦労した。普通の英会話さえできない教師に英語を教わるなんて、どうしても我慢できなかったし、実際にネイティブに通じない言語なんて「本物じゃない」と確信していた。

そんなわけで、私の英語修得法は一般的には通用しないと思うし、みんなに勧められるようなものではないのだが、自分では非常に理に適ったオーソドックスな学習法だと思っている。ただ、この学習法には欠点があって、日本にいてはかなり実行が難しいのである。

前述のように、英語を聞けて話せて読めて書けるようになるには、近道などは絶対にない。それでも、効率の良い方法と悪い方法はもちろんあって、私のお薦めは、NHKラジオの「やさしいビジネス英語」をテープにとって、毎日繰り返し何度も学習する方法だ。ホストの杉田敏先生は、英語の発音も非常にきれいだし、ビジネスの経験も豊富で、その上非常に美しい日本語を話す人である。